幸村工事・・・寺社などの構造物、急勾配、山、川の形状を最大限利用し、わずか1か月で、仕上げた出丸です。
ここは太子町「和みの広場」です、明日11月6日の「三光神社真田まつり」のリハーサルに来ました、狭い部屋で部分ごとに造っていったので、全体を展開するのは初めてです。
写真は黒門のある総構え空堀です、橋の手前側の道は2手に・・東は猫間川沿いの狭い道、西は寺町(どんどろ太子、心眼寺)に通じ、高津神社に至る道です、最近の論調では、真田丸はこの道の西にあったとされる意見が多いようです、が(私は不納得”)
理由は3つ・・・玉造黒門からは距離がありすぎ、真田丸を攻める必要があるのか?
・・・昭和期まで、現三光神社あたりには小高い山が
あり、猫間川まで続いていた、高台を敵にゆずる等ありえない。
・・・大坂城の築城に係わった官兵衛が城の弱点を見逃すなどありえない、当然黒門のすぐ傍に馬出出丸を整備していたはず、しかし平和時でもあり、完成させる必要には至らなかった。幸村はそれらも、寺社などの構造物も活用、幸村がひと月で真田丸を完成できた疑問”・・・解決”
・真田出丸の規模・・・猫間川から西へ鎌神社の前までと結論”
上は総構え空堀・格子堀がなされています(城の西堀では確認)
手前に徳川軍を配し、私の真田丸の完成”です。
・太子町の皆さん、温かい笑覧ありがとうございました。
!ユーチューブに動画あります。